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マッキンリー登頂に挑戦しに行った大窪康之さんから昨夜メールがありました。

(大窪さんについては以前に私が書いたブログの記事をお読みください。こちらも関連記事です。)

「黒沢様 ご心配と応援ありがとうございました。
私のコンディション不調より、登頂する事が出来ませんでしたが、これまでにない経験をして、本当に貴重な体験をさせていただきました。アラスカの雄大な風景などほんとうに最高でした。登頂できず、とても悔しくて悔しくてたまりませんが再度リベンジしたいと思います。応援してくださった皆様、こんな結果になってしまいましたが大変申し訳ありません。また応援・ご支援を宜しくお願申し上げます。帰国は予定通りします。(7月1日)大窪康之」

以上ン、メールの内容ですが、アンカレッジに戻ったところでやっとメールができ連絡してくださいました。

片山右京さんもメールで言っていました。「マッキンリーは簡単じゃない。」と。
きっと応援のメールを送ってくださった片山右京さんにも同じメールが届いていることと思います。

とにかく無事に帰ってこれて本当によかったです。命さえあれば何度でも挑戦できます。

大窪さんがにっこりとほほ笑んでメモに書いて見せてくれた時のことが思い出されます。
「冒険に失敗はつきものです。また挑戦します。」と。

これからも大窪さんの挑戦を応援していきたいと思います。

okubovinson.jpg
南極大陸最高峰ビンソンマシフの登頂に成功した時の大窪康之さん
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私がこの仕事をしていて本当によかったと思うのはオーストラリアの各地にいろいろな客様をご案内してオーストラリアの雄大な自然や普通にはなかなか見れない素晴らしい風景と出会う時ですが、それ以上に、様々な人生を生きる様々方々との出会いもたくさんあり、感動がたくさんあります。

前出の大窪康之さんもそうですし、今年(2012年)の年明け早々コジオスコ山にご案内させて頂いた元F1レーサーの片山右京さんとの出会いと彼の生き方は大きな感動を与えてくれるものでした。

片山右京さんをご案内させていただいた3日間は本当に素晴らしい経験で私の中だけで収めておくのは勿体無く、既に私の知人、友人にご紹介させているのですが是非またこの場をお借りしご報告させて頂きたいと思います。

なお、3日間ずっと一緒にいて片山右京さんは私を「クロさん」と呼んで下さり、私も尊敬と親しみを込めて「右京さん」呼ばせて頂いていたのでこれ以下は右京さんと書かせて頂きます。

右京さんは現在、登山家として一番ハードな目標の8000メートル以上の14座の山を厳冬季無酸素単独登頂を目指していて今年の9月から世界最高峰エベレスト(8,848m)に入り12月には登頂をする予定だそうです。
既に右京さんはセブンサミット(世界7大陸最高峰)の内エべレストとオーストラリアのコジオスコ以外は達成しているので今回コジオスコも登っておけば12月にエベレスト登頂に成功した段階でセブンサミットが達成されるというわけです。

簡単な山なので初めは一人で行ってレンタカーでも借りてご自分で登ろうとされていたのですが、事務所のスタッフの方々が気を利かせて山岳専門の旅行会社に依頼して、そこから私に今回のお仕事の依頼が回ってきたという次第です。

私は右京さんが現役を引退されてからF1の解説者としてご活躍されていることは知っていましたが、登山家になっていることは2009年の富士山の遭難事故のときにニュースで初めて知りました。お仲間二人が亡くなる事故で、ただ一人生還した右京さんが世間の非難を浴びたのでした。

私はこのお話には触れてはいけないなと思っていたら、初日キャンベラ空港でお迎えしてキャンベラの町で中華レストランで飲茶を食べながら打ち合わせをしている中で右京さんの方から自然に話してくださいました。
その後の南極行きのための訓練として厳冬期の富士山の登ったのですが、事故から2カ月は家に閉じこもりうつ状態だったそうです。一番自分を責め苦しんだのは右京さんご自身だったのでしょう。

右京さんはもともとF1ドライバーになる前に実は既に登山家であったこと、登山の訓練で自転車を初めて自転車でも活躍していてご自分のチームを持っていること、様々なエピソードなど遭難事故の話を含めて3日間右京さんと一緒にいて移動中の車の中、3日間の3度の食事をしながら、山を一緒に歩きながらいろいろなお話を伺うことができました。
(もちろん私も右京さんのお話を聞いているばかりでなく在豪26年のベテラン アウトドアガイドとしてオーストラリアについていろいろなお話をさせて頂き、熱心に聞いて頂きました。)

右京さんは高校時代は日大三校で陸上部に所属し長距離選手だったそうでなんと、学年が一つだけ上で東京の高校の陸上部だった私とは支部大会や南関東大会の予選会などで立川市営陸上競技場で奇遇にも頻繁にニアミスしていたようです。400mと400mハードルが専門種目だった私とは面識はないのですが同じ競技場に2年は重なっていたので走る姿をお互いに見ていたり、すれ違って可能性は十分にあります。奇遇です。不思議な縁を感じました。

右京さんはその後、波乱万丈な人生を歩むのですがだんだんと陸上よりもバイクや車に興味を持ちだし、鈴鹿などでいきなりカーレースで優勝したりして、高校を卒業する時には担任の先生に「F1レーサーに」なりますと言ってフォーミュラ1の入門編の「フォーミュラ フォード」でレースをするためイギリスに行くことを決意します。(日本では「FJ1600」が「フォーミュラ フォード」と同等の入門クラスです。)

ちなみに「フォーミュラ フォード」はオーストラリアにもあって、私は20年くらい前にシドニー南西部の「ORAN PARK」というレース場で「フォーミュラ フォード レーシング スクール ツアー」というのを企画していたことがあります。
 元オーストラリア チャンピオンのインストラクターの指導を受けながら2日間フォーミュラカーにたっぷりと乗れてシドニー観光もできるのです。実際このツアーは宣伝の仕方が悪かったため(今の様にインターネットなどない時代でしたから。。。)うまくいきませんでした。
それでも初め企画のときに私も生徒としてスクールを体験してフォーミュラカーを運転させてもらったときにインストラクターに「なかなか筋が良い」とほめられたのでその時に舞い上がって、私も「F1レーサーになる!」と決意していたら片山右京さんのライバルになっていて、今とは違う人生だったかもしれません(笑)。それを右京さんに言ったら笑っていましたが。。

そしてイギリスに行くことを決めた片山さんですが、なんと「イギリスの首都はパリ」と勘違いしてなんとパリ行きのチケットを買うのです。しかも成田空港に行ってカウンターでまるで電車に乗るみたいに「パリまで大人一枚」と言って周囲を驚かせたそうです。そしてイギリスに行くはずがフランスに行ってしまうのです。
これは冗談のような本当の話だそうです。「そのくらいバカだったんですよ、オレ。。」と言って笑っていました。

それでもパリに行った右京さんはフランスの入門編の「フォーミュラ ルノー」のチームに入りそこからめきめきと頭角を現し、フォーミュラ ONE (F1)で活躍するようになるわけです。

ここからのF1での活躍は私が述べるまでもないので省略しますが、ある日F1での限界を感じた右京さんは、ミハエル シューマッハのチームメイトになるというオファーを断り、突然引退するのです。

F1のドライバーを続ければそれなりの結果と収入が期待できたでしょう。引退しても過去の栄光の上にあぐらをかき解説者だけ続けていれば悠々自適な生活が得られたでしょう。

しかし、右京さんはそのどちらも拒み、新たな挑戦を開始します。
登山、、自転車、チャレンジスクール、自動車レースなど様々な活動を通して次代を担う子供たちや若者を育て応援。、さらには身体障害者にも自立支援の活動などもしています。

現在49歳の右京さんですが体を鍛えるために、今回のコジオスコ登頂が終わって成田に着いたら成田から相模原の自宅まで自転車で帰られたそうです。
「後輩や子供たちには自分自身の後ろ姿を見て欲しい。」
「自分が頑張っていなければ子供たちに頑張れなんて言えない」
右京さんはそうおっしゃっていました。
でも頑張れば頑張るほどブログなどに
「おまえ富士山で2人殺したよな。表に出てくるな」
などと非難中傷されるそうです。
それでも「もっともっと(精神的に)強くなれってことですね。」と言っていました。

世の中には自分では何もしていないくせに、こんなに頑張っている人を心ない中傷する無責任でろくでもない人間がたくさんいます。

しかし、右京さんは、自分自身がどんなに苦しみ、傷ついても、それをバネにし、自分が頑張ること、人を励ますことを絶対に止めない。

右京さんにあこがれる末期がんの青年に最後まで「頑張れ!頑張れ!」と励まし続けた時もとても辛かったとも言っていました。

私は3日間、右京さんと一緒にいて命を洗われる思いがしました。
右京さんのお話をうかがいながら何度か涙が出ました。


最終日にはキャンベラでは日本大使館を表敬訪問し、佐藤重和オーストラリア大使と面会する箏もできました。
突然のことでしたが大使館勤務の後輩に対応してもらいました。

アデレードやメルボルンはF1のレースで頻繁に訪れている右京さんですがキャンベラは初めてということで国会議事堂、戦争記念館、奈良平和公園などをご案内させていただき、オーストラリアの国の成り立ちや政治、日豪間の戦争の歴史などの説明に熱心に耳を傾けて頂きました。

戦争記念館では館を出た後しばらく押し黙っていらっしゃったので「どうしましたか?」と聞くと「自分なりにどう吸収していけばいいか考えているんです。」と答えていました。

本当にまじめな方です。腹を抱えて笑うようなエピソードもたくさん伺いましたが、右京さんという方は本当に謙虚で頑張り屋で本当にすごい人です。

私は右京さんの大ファンになり大好きになりましたし、彼の人生が私の生き方にも大きく
影響を与えてくれたと思います。

自転車のチームでオーストラリアにレースや練習に来るかもしれないということですし
私はこれからも片山右京さんの活動を応援していきたいと思います。

是非、片山右京さんを応援して下さい。

右京さん関連のウエッブ サイトは下記の通り

http://k-planning.co.jp/
http://ukyo-katayama.cocolog-nifty.com/

Ukyo1.jpg
コジオスコ頂上付近で片山右京さん(左)と

Ukyo2.jpg
キャンベラの日本大使館で佐藤オーストラリア大使(中央)他と
大窪康之さんが参加してくれた、私のツアーの「オーストラリア最高峰コジオスコ山登頂のトレッキング」ツアーについてのお話です。

コジオスコ山はスノーウィーマウンテンズ国立公園の中にあり冬はスキー場としても人気があります。
スキーリゾートの町、ジンダバインやスレドボまではシドニーから途中、首都キャンベラを通り片道約500キロ、車で5~6時間の道のりです。

ジンダバインには大きな湖がありトラウト類が生息していて、私は初め3泊4日ジンダバインの「トラウトフィッシングキャンプツアー(首都キャンベラ観光つき)」というのをホームページに載せて催行していました。

ところが釣りのお客さんよりも「釣りはいいからコジオスコ山に登りたい」という山登りのお客さんからのお問い合わせが多く来たのです。

というのは、私は釣りも好きですが山登りも好きなので以前はツアーの説明の最後の方に「オプションとしてオーストラリア最高峰コジオスコ山にも登れます。」と書いておいていたのです。ジンダバインからさらに30分ほど山奥に入るとスレドボの村があり、リフトを使えば往復約4時間でコジオスコ山に登れてしまうんです。

この10年来(もっとかな?)日本は山ブームですよね。ですからオーストラリアでコジオスコ山に登りたい方が、ネットで検索して”私の釣りツアー”の中の”コジオスコ山にも登れます”の一言を見つけて問い合わせをして頂いてたというわけです。

コジオスコ山が登頂はハイキングのように簡単に登れるけれども、世界7大陸最高峰、セブンサミットのひとつに数えられていることもあり問い合わせが多くなってきたので私も改めて「オーストラリア最高峰コジオスコ山登頂ツアー」をツアーメニューに加え、最短4時間コースの他に登山愛好家の為にもっと楽しんでもらおうと、登頂後尾根を縦走しシャーロットパスま抜ける8時間19キロコースを加えて本格的に登頂トレッキングツアーを始めました。

 前出した大窪さんや日川さんなど本格的に7サミットを目指していらっしゃる方を初め、2008年には大手旅行会社の依頼で日本山岳会の29名に皆さま、2009年には日本百名山の深田クラブ14名の皆さまを始め今までにたくさんの山岳同好会やご夫婦、個人のお客様をご案内してきました。

今年の初めには元F1レーサーの片山右京さんもご案内させて頂きました。

このブログをご覧になっている皆さまも是非登ってみてはいかがでしょうか?

コジオスコ山頂 日本山岳会
コジオスコ山頂 日本山岳会の皆さまと
アルパインサンレイの花
尾根に咲くアルパインサンレイ
レイクアルビーナ
レイク アルビーナと咲き乱れるスノーデイジー(白)やビリーボタン(黄)
ブログ開設3日目なので内容のあるものを書き始めたいと思います。

数日前に「北米のマッキンリー山で雪崩、日本人遭難」のニュースを聞いた時一瞬「まさか!」と思いました。
それは一ヶ月くらい前にろう者の冒険家 大窪康之さんから「これからマッキンリー登頂に挑戦する」という内容のメールを頂いていたからです。

大窪康之さんは現在41歳、2歳のときに病気で聴覚を失い、ろう学校を卒業後、海外旅行や南極点、北極点到達などを経て、世界7大陸最高峰登頂、いわゆるセブンサミット登頂を挑戦中で達成すればろう者で世界初という凄い人です。

私が初めて大窪さんにお会いしたのは2008年の4月の終わりでゴールデンウィークを利用してろう学校時代のお友達を連れて観光がてらオーストラリア大陸最高峰コジオスコ山登頂にやって来て私がご案内させて頂きました。
コジオスコ山というのはオーストラリア大陸最高峰といっても標高が2,228mしかなく、チェアリフトを使うと往復で最短4時間位でトレッキング気分で登れてしまうので私のツアーでも一般の方がたくさん参加されます。

しかしその時は運悪く登山の前夜から季節外れの雪が降り出し当日の朝は猛吹雪になっていました。例年より4週間以上も早い初雪で登山道に50cm以上の雪が積もり、国立公園事務所も登山道を閉鎖するしかなく、大窪さんは何とか一人でも登る方法はないかと私に交渉を依頼してきましたが、私も何度も登っている山ですから雪の装備さえあれば案内できたかもしれませんが、まさかの雪に装備も不十分だし、こんな簡単な山で万が一のことがあってはいけないので、残念ながらずあきらめてもらうしかありませんでした。
大窪さんも分かってくれ「冒険に失敗はつきものです。必ずまた来ます。」と紙に書いて、にこっと笑ってくれました。

ちなみに大窪さんも含めて3人とも耳の聞こえない方ですから会話はすべて筆談です。移動の車の中では私は運転しながら黙っているしかありません。3人は手話などで何やら話しているのですが私にはわかりません。
途中の休憩や食事の合間あるいはホテルなどで筆談でたくさんの会話をしました。その時の殴り書いたノートや紙の束が今でも懐かしく私の手元に残っています。

そして翌2009年2月真夏のベストシーズンに大窪さんは再び、今度は一人でシドニーにやって来、無事コジオスコに登頂しました。その時は観光はいいからシドニーのろう学校を訪問したいとのことで、登頂後、私の家に泊まってもらいながら前もって連絡を取っておいたろう学校を訪問したり、ビーチでBBQしたりしました。

大窪さんは2回目のオーストラリア訪問の直前に南極大陸最高峰ビンソンマシフ(4,892m)それ以前に既にアフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)を登頂していました。

その後2009年9月ヨーロッパ大陸最高峰エルブルスに頂上直前で悪天候の為、断念。翌2010年1月南米アコンカグア(6,959m)登頂成功、同年9月エルブルス細動挑戦し、登頂成功。見事5大陸最高峰登頂を達成しました。

残るはマッキンリー(6,194m)と世界最高峰のエベレスト(8,848m)の最難関です。

さて本題に戻りますが、今回遭難したのは大窪さんではありませんでした。

現在大窪さんが挑戦中のマッキンリーは皆さんもご存じの通り、冒険家の植村直己さんが遭難した山で、今回雪崩に巻き込まれ遭難した方たちもかなりのベテランだった様です。あと30分で目的のキャンプ地にたどりつく直前の出来事だったそうですが本当に残念です。今年は特に天候が悪く厳しいという情報もあるそうです。

ろう者である大窪さんは個人では当局からの入山許可が下りなかったので日本人のベテラン登山家3人とパーティーを組んで今まさに登頂に挑んでいる最中だと思いますが登頂の成功と無事の生還を祈らずにはいられません。

大窪康之さんの冒険の経歴などは下記のサイトで
http://deafookubo.web.fc2.com/index.htm

写真は大窪さんとコジオスコ山頂で。
大窪康之さんとコジオスコ山頂で

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